2006年10月17日
「盤上戯」 佐々木泉
佐々木泉さんの新作「盤上戯」が、9月28日発売の「三国志マガジンvol.11」に掲載されました。今までにもご紹介してきたとおり、三国時代の呉を舞台に魯粛を主人公とした短編連作シリーズの最新作です。
隔月刊の三国志マガジンへ隔号連載という「四ヶ月毎ペース」で今や六回目となりましたね。
その流れは以下のように。
嗚呼、「捕風船」に関しては書こう書こうとして繁忙により出来なかったんだな。ちょっと反省。
「盤上戯」 三国志マガジンvol.11(2006/09)掲載
「捕風船」 三国志マガジンvol. 9(2006/05)掲載
「麻保屯」 三国志マガジンvol. 7(2006/01)掲載 →「コミック三国志マガジン」Vol.7 「麻保屯」所感など
「遊仙洞」 三国志マガジンvol. 5(2005/09)掲載 →「コミック三国志マガジン」第五弾・赤壁の戦い特集
「伍君神」 三国志マガジンvol. 3(2005/05)掲載 →5/28発売 「コミック三国志マガジン」第三弾
「江南行」 三国志マガジンvol. 1(2005/01)掲載 →『コミック三国志マガジン』創刊?
「火鳳燎原」などが既にコミックス3巻まで刊行されていることを考えると、2で割っても十分コミックス一冊分量に達した筈です。そろそろ纏まらないかなと思っているのですが、どうでしょうかね。
さて、今回タイトルが「盤上戯」であり、冒頭は象棋で遊ぶ子供達(兄妹)の情景から始まります。
この子らが誰か。引いてはこのあたたかい思い出を振り返り、今は惨憺たる殺戮の跡に仰ぎ臥す彼が何者であるかというのが肝ですね。
ぶっちゃけ、佐々木さんの絵柄は髪型とか髭に特徴がないと、白面郎的青年キャラはちょっと見分けがつきません。
若い頃の周瑜とかじゃないことは確実だが魯粛の腰巾着の子(彼は後でちゃんと出てくるのだ)かなあとか思ったり。
勘のいい人は追憶のお兄さんの顔が長いことでピンときたりするんでしょうか。
伏せていても話が進められないので言ってしまうと、彼は若き日の諸葛亮なわけです。時は建安十三(208)年、曹操南下に混乱する荊州。
魯粛も劉備との接触を求めて少人数で動きますが、その道行きで浮屠を装い江陵への脱出をはかる諸葛亮と出会います。
今回はまさにターニングポイントというか。
今まで呉というひとつの世界をしっかりと描いてきた佐々木さんでしたけれど、「盤上戯」では一気にいわゆるところの蜀と魏も存在が大きく浮かびあがります。いや、浮かび上がるどころか……
我々は現在から過去を俯瞰しているので、「三国鼎立」という状態があったのは当然という前提から遡って見がちですが、当時の人達にはそれは不確定のことなんですよね。
もちろん作中の時点では「蜀」も無いですし。
例えば、劉備勢力とか劉備軍という言い方もできますが、そんな括りは一個の人間にとって大きいようで実は小さいことであるとも言えます。
人が何かを成し得るために世間を渡る時、とどのつまりは個と個の繋がりが積み重なっているだけではないでしょうか。
そんな個と個の出会い、いくつもの出会いが怒濤のように押し寄せる。
タイトルにかこつければ波のように蠢きめまぐるしく動く盤面。その象は多く、また重なり、よくこの枚数に纏めたものだと思います。
いままでの作品では雰囲気の流れで含みをもたせ其処で語る、という感じでした。が、今回は推敲に推敲を重ねて削り挙げた戯曲を読むように、行間の多い物語であったと思いました。
陣地取りと勢力交代に偏った「三国志」は余りすきじゃないけど「諸葛孔明の憂鬱」などは好ましい私としては、いろいろツボでした。
三国志マガジンのブログで○○とか△△とか書かれてましたけど、個人的にはそこへ徐庶いれといてくれ! も一方は支謙ね(名前だけしか出ないけど)
孔明と元直の遣り取りは2Pほどのものながら、濃いぃい。こんな局面にあのエピソードを挿入してくるところは、最高ですよ。ちょっと性急で詰め込み過ぎな進行ですが、劇場的かつ激情的でアリだと思った。
エッセンス的に仏教も取り上げられて、「輪廻」の概念に「斬新」と食いつく魯粛が面白かったり。
「伍君神」では江南の民間信仰を、「遊仙洞」では干君道ときて、今回は浮屠かあと感心します。
「中国の仏教伝来は西暦初め海からの可能性」という記事も近年出ておりますので、この時期の仏教伝播程度も面白いファクターですね。
ただ、タイトルに始まってオチで現される「盤」のかたちというのは、ちょっとどうなんだろうなあという思いもありました。
「三国志」的にベタといえばベタで、ストレートな表現なんでしょうが。
古代における「遊戯」は必ずしも「ゲーム」ではなく、神聖である要素も含んでいました。が、現代人にとって盤上に行われる行為は、やはり遊びである印象です。
孔明曰く、そこへは全てを覚悟した上でこそ登れるものだとしても、多くの命を賭したものであるのが何となく複雑な気持ちでした。
諸葛家の若人たちが共に遊んだ盤面が、三国を舞台に一族保身を賭けたものへ遷されて行く……と読み替えるのは穿ち過ぎかな。駒は龍と馬と狗で。ま、お話の兄妹の中に誕が意識されているとは全く思いませんけど。
- by
- at 18:37