「燈台鬼」

南條 範夫

「オール読物」1956年五月号初出
光文社時代小説文庫刊『燈台鬼』所収
1991年8月初刷発行

『燈台鬼』

文春文庫刊
1983年6月25日初刷発行
 amazon.co.jp 

遣唐副使として唐に渡ったまま行方不明となった父親を求め、彼の地へ赴いた道麻呂が、そこでふと目にしたものは、人間燭台≠フおぞましい姿だった……。直木賞受賞の表題作のほか、オール新人杯第一回受賞作「子守りの殿」「不運功名譚」「水妖記」など初期の作品六編を収録。直木賞受賞までの歴史小説は本書に全て網羅された。

2004年に鬼籍には入られた南條範夫氏。経済学の教授としての顔を持つ一方、1956年の直木賞受賞経歴もある押すに押されぬ作家の顔も持っていました。
この「燈台鬼」は、その直木賞受賞作です。

この作品、古い時代のものということで以前は随分と入手しにくいものでした。非公式直木賞サイト「直木賞のすべて」でも、コンテンツのひとつ「直木賞受賞作全作読破への道」part 5 古本屋で探して読むで「燈台鬼」が取り上げられていました。

『燈台鬼』

光文社時代小説文庫刊
1991年8月初刷発行
 amazon.co.jp 

そちらで紹介されていたのはこの光文社文庫版で、電子書籍版もあったため比較的入手し易かったようです。
その後、「燈台鬼」は「直木賞のすべて」主宰である川口則弘さんの肝いりで「消えた直木賞 男たちの足音編」にも収録されて新刊本でも読むことが出来る作品となりました。


さて、この「燈台鬼」不思議なお話です。いわゆる「伝奇小説」と云ってよい内容です。
ここでいう「伝奇」とは広い意味での「伝奇」のつもりですが、作品の持つ要素に「遣唐使」というものも含まれているものですから、狭い意味での「伝奇」にも当てはまるものですね。狭義の「伝奇」とは、中国唐代に行われた文語体の短編小説のことです。
作者の後書きによると、「燈台鬼」は平安末期の仏教説話集『宝物集』 に取材したものだと云います。そこでの主人公は軽大臣(かるのおとど)とその息子・弼宰相で、『源平盛衰記』『平家物語』にも俊寛の話のところで引用されています。
南條氏は軽大臣の名は史実に無く、遣唐使の中で実際に父子で使節となった小野石根と道麻呂を充てています。


J−TEXTS 日本文学電子図書館に『源平盛衰記』が収録されているのでみてみますと、確かに巻一〇に軽大臣こと燈台鬼の事柄が記されています。

その昔に軽大臣が遣唐使として中国にお渡りになって、姿形を外つ国にてみすばらしく変え燈台鬼にされ、帰国することができませんでした。ご子息である弼宰相は、その行く末のはっきりしないことに大唐国へと渡り尋ね廻ることをしたのですが、実はその目前に父がありながらもそれがそうと明かす人は居りませんでした。父の軽大臣の方では、それが息子であると認識しており、自分が父であると云いたかったのですが、物が云えなくなる薬を飲まされて唖になっていたので、額に燈械(くもで)を打たれたままで弼宰相に向かってただ涙を流すことしか出来ませんでした。弼宰相はやつれてしまった姿の父親ゆえ、顔を合わせても判らないのです。燈台鬼の軽大臣は涙をこぼしつつ、指の端を歯で喰い切った血でもって弼宰相の前にこう書き付けるのでした。

 
我是日本花京客、汝則同姓一宅人、
為父為子前世契、隔山隔海恋情苦、
経年流涙宿蓬蒿、逐日馳思親蘭菊、
形破他州成燭鬼、争帰旧里寄斯身。

J−TEXTS 日本文学電子図書館より整形して引用)

このように書き表したことにより、弼宰相はその燈台鬼が自分の父たる軽大臣だとはじめて知りました。

この『源平盛衰記』による「燈台鬼」の語は、『大辞泉』『大辞林』にも掲載される語句のようで、思った以上のネームバリューがあるようです。

また、おもしろいことに鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』雲之巻には煙々羅や泥田坊と並んで「灯台鬼」の項があります。妖怪の一種として扱われているわけですが、そこにも『源平盛衰記』の説話の要約のようなものを附しつつ詩が記されています。
『源平盛衰記』のものとは多少の語句の異同がありますが、ほぼ同じといっていいものです。

我元日本華京客、汝是一家同姓人、
為子為爺前世契、隔山隔海変生辛、
経年流涙蓬蒿宿、遂日馳思蘭菊親、
形破他郷作灯鬼、争帰旧里寄斯身。

こちらの詩のほうが南條氏の「燈台鬼」中にも引用されています。

中国の故事は古くより日本に輸入され、膾炙されてきました。交流が盛んであった遣隋使・遣唐使の時代は勿論ですが、源平の抗争などを描いた軍記物語へもその影響はかなり大きいようです。
『平家物語』では漢代に匈奴へ抑留された蘇武の故事なども、俊寛と同じく鬼界島に配流された平康頼の話の所で引用されています。
ちなみに平康頼は赦されての帰京後『宝物集』を書き表しました。

南條氏はこうして日本で書き継がれてきた説話に取材したわけですが、史実の父子入唐した小野石根・道麻呂に仮託したり、新羅大使理伯との席次争いという事の発端を用意するなどして、読者をより強く物語に引き込む工夫をされています。
当時の東アジア諸国の国際関係と、それも踏まえての渡唐者のアイデンティティ発露など、ボストン美術館蔵の『吉備大臣入唐絵巻』で有名な説話(具体的には『江談抄』「吉備入唐間事」等)を連想したりしますね。

しかし、もともとの話が如何にも怪しい「伝奇」風なので、どうにか収めたヒューマンドラマ的な結末も、些か「燈台鬼」のアクが強すぎて謎が置いてけぼりな感じ。
『宝物集』 『源平盛衰記』『平家物語』等にみえる「燈台鬼」の話、詩の存在感が大きく、そもそもはこれが説話の生まれた発端という気がします。
すると、やはり永く別離した父子の再会は確かなテーマでありながら、そこに在る「燭鬼・灯鬼」の奇妙さがやっぱり伝奇としか云いようがないですね。その表裏の異質さが、むしろ魅力ともみれるでしょうか。

国枝史郎が『神州纐纈城』を書き、田中芳樹が『纐纈城綺譚』を書いた纐纈城と纐纈巾の話。即ち「慈覚大師、唐にわたり顯密の法を伝えて帰り来れる語」(『今昔物語集』の第十一集)や「慈覚大師 纐纈城ニ入ル事」(『宇治拾遺物語集』の巻第十三)に記された慈覚大師こと円仁が唐土で遭遇したという、人の生き血を絞って布を染め売りさばく纐纈城の話があります。
これも中国の話といって本邦でこれほど膾炙されつつ、本家の中国ではそんな話は見受けられないという点で「燈台鬼」と同様です。渡唐者が奇禍に遭う、口がきけなくなる薬を使われるという部分での共通点もあります。
渡唐中の遣唐使を扱った日本の小説は多いのですが、それはいわゆる「中国物」なのか、それとも単に平安の「時代物」なのかと試みに考えてみることは出来ると思います。「どちらでもある」のがその実際ですが、日本人による「中国物」という枠の中では基本である伝統的なモチーフであると、改めて示唆してくれる南條範夫「燈台鬼」です。


この次に読むなら?

『纐纈城綺譚』